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諸聖人の日

生家あり万聖節の雲の下
万聖節

ハロウィンの渋谷が記憶に新しいですが、
みなさまいかがお過ごしでしょうか。

11月1日がキリスト教における「万聖節(諸聖人の日)」だとは
かねてより何となく聞き及んでいたのですが、
この句を詠むにあたって調べ物をしていた際に、
英語でAll HallowsとかHallowmasと表記されることは初めて知りました。

ここに至って漸く
「なるほどハロウィンって諸聖人の日の前日を意味するイベントなのか」
と納得いたしました。
なるほどね。

日本では消費市場に完全に取り込まれていますが、
清浄な信仰の世界にもともとはあったものなのでしょうね。
知らんけど。

ということで、今回の俳句はこんな感じです。
本来は11月1日前後の更新で出そうかとも思ったのですが、
なんだか出来としてイマイチだと思われたので、
ここ数日、時間を見つけては推敲を考えていました。

しかし、さすがにタイムリミットですね。
このままだと立冬が先に来てしまいます。

ということで、今回は本意ならぬ更新となりました。
何がしかの緩み、瑕疵は必ずやあるでしょうから、
忌憚のないご助言等を頂戴できれば幸いです。


さて、本日併載する絵画は、シュルレアリスムの巨匠として著名な
サルヴァドール・ダリの宗教画です。

あまり僕もわからない(わかるわけがない)のですが
純粋なるカトリシズムを直接的に感じさせない作品だなと思います。
古典的なモチーフそのものが写実的に描かれているにもかかわらず、
全体としてはむしろ、科学への信奉を思わせるような…
といえばいいのでしょうか。うまく言語化できませんが。

ただし、このような信仰に関するモチーフが、
完全に言語化できうる様式、すなわち理解のしやすい様式で、
絵画化されて果たしてよいものなのか、という論点はありうるかもしれません。

ヘブライ人は神ヤハウェの綴りをYHWHと書きました。
(もちろん、これは後年アルファベットに訳されたものですが)
つまり、子音を用いない=人に発音できない、
そのような音を当てたわけですね。

有名なところで言えば、イスラム教は偶像崇拝を禁じ、
神の絵を描くことは罷りならぬとされてきました。

「うまく言語化できませんが」と先ほど言いましたが、
このうまく言語化させないあたりは、むしろ当然なのかもしれませんね。
これがダリの単に作風なのか、特別に意図したところなのかは、
ちょっとよくわかりませんが(わかるわけがない)。

ポルト・リガトの聖母2

サルヴァドール・ダリ『ポルト・リガトの聖母』1949年 マーケット大学博物館所蔵

ポルト・リガトの聖母1
サルヴァドール・ダリ『ポルト・リガトの聖母』1950年 福岡市美術館所蔵

誕生日

秋風の捨てたプラごみ転がり来
季語・秋風

卒業論文、現在絶賛行き詰まり中。
奮ってご応援ください。。。

参考文献・資料に溺れ死にそうな毎日ですが、
まあなんとか生きています。

今日たまたまスケジュール帳を開いてやっと、
今日が自分の誕生日だということに気づきました。

そりゃ誰かがプレゼントでもくれれば覚えてるんでしょうけどね。

はぁ。。。。

さて、久々に俳句のことをお話ししますが、
このまえ街を歩いていると、秋の肌寒い風が吹いて行きまして、
そうすると、
なぜか、
プラスチックの欠片か何かが、
その風に逆らって転がり来たのです。

なんだか秋風がポイ捨てでもしたかのように見えたので、
こんな感じの句にしてみました。

下の画像は、そんなプラごみが転がって来そうな、
汚れた大都会の一幕が描かれた油彩画です。

19世紀末、大英帝国全盛期のロンドン。
「霧の街・ロンドン」で言われるところの霧とは、
実は人体に有害なスモッグだったと言われています。

そのように汚染された大都会の秋風は、
はて俳句に詠めるような代物だったのでしょうかね。

ジョン・アトキンソン・グリムショー『ロンドン、ブラックマン通り』

ジョン・アトキンソン・グリムショー『ロンドン、ブラックマン通り』 1885年。
John Atkinson Grimshaw "Blackman Street, London"(1885)

お久しぶりです

ひそやかに抱いていた1週1句のモットーを守ることができず、

そもそも更新すらままならない日々が続いておりましたが、

この度、某国立大学の大学院に進学することが決まりました。

よって、本ブログを閉鎖することもなく、
引き続き由無し事の掃き溜めとして使わせていただければと思います。

掃き溜めをたまにご覧になるみなさま、本当にごめんなさい。
引き続き、お付き合いいただけると幸いです。

追想

ハイウェイに聴き終ふる百物語
季語:百物語

川の字の酔ひどれ彦星の笑ふ
季語:彦星

海原にむら雲の消ぬ終戦日
季語:終戦日


台風一過、秋を纏ふてくる風の折節に、私は東京の一室に居ります。

帰省を終え数日、本格的に勉強を始めねばと机に向うて居りますが、
集中が続かず、かくて別の世界に逃避せんとするのです。

以上は、帰省中にここぞとばかり作り溜めた俳句です。

暦の上では秋ですが、とはいえまだ8月ですので、
夏の季語と秋の季語を織り交ぜてのご提供です。

類想類句、じゅうぶん存在だらうと思ひます。
なにせ頻繁には句作できないものですから。

なあに、ただの言い訳ですがね。

さて、俳句は今日はこれくらいにして。
以下は重くなるので、読もうとも読まずとも各々ご自由に。

茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)
サルヴァドール・ダリ「茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)」(1936年)



I miss you.
という英語には、ぴたりと合った日本語訳がないということを耳にしました。

なるほど。

では、その観想を、とある唐突な出来事によって得てしまった僕は、
これをどのように日本語の言葉にして表現すればよいでしょうか。

そのために、少々迂遠であることは承知の上で、
先ずはI miss you.の意味の把握から。

これをあえて硬く日本語にするならば、
『彼の不在にいまだ慣れない』
という感じになるそうです。

ふむ、なるほど。

では少しばかり考えて参りましょう。

私にとっての「彼」とは、高校卒業以後ずっと離れた地に暮らしていました。
考えてみると、その4年間でお会いできたのは、たったの2回でしたかね。

今気づくと、その間、私は「彼」の「不在」を意識もしませんでした。
つまり、実質的には「不在」のはずなのに、それを意識しなかったのです。
目の前にはいないけれど、どこかに必ずいるだろうという形で、
「不在」を受け入れなかったのです。

それが、今では、私にとっての実質的な状態が何ら変化していないのに、
「彼」の「不在」を「不在」として受け入れ、それを意識してしまいます。

高校卒業以後、今までも、これからも、
私にとっては実質的にずっと「不在」であり続けたはずの「彼」を、
しかし私は、これからは、
「不在」として受け入れねばならないし、意識せねばならない。

ここにおいて腑に落ちました。

すなわち、私たちにとって、実質的に「不在」である人はたくさんいます。
私の両親や兄弟も或いは友人のほとんども、
「今、私の目の前にいない」という意味では、実質的に「不在」であり続けます。
しかし、私は実際のところ、それを「不在」と受け入れない、意識もしない。
そういうことがあって初めて、「不在」を受け入れ、そして「不在」を意識すると。

しかし、本来であれば、先に受け入れなければ
「不在」を十全に意識するなどできないはずなのに、
儀礼を通すことによって、人間はしばしば、
受け入れる前にそれを意識することを強いられる。

そうなると、受け入れられてもいないのに、
先に意識させられることによって、
(そして、受け入れるという営為そのものの「不在」によって、)
「彼」の「不在」がいっそう際立ってしまう。

我々には、そういったことがしばしば生じます。
それを指してI miss you. と言ったのではないでしょうか。

したがってI miss you.の意味は、

『彼の「不在」を「不在」として意識させられながら、
しかし、その「不在」を受け入れられないでいること。
それによって、さらに「不在」がいっそう際立ち、
それを意識させられてしまうこと。』

人間があまねく抱きうる、ある種の「不在」のスパイラル。
それがI miss you.ではないかと。

ここまで考えた時、はたと気がつきました。
こうも普遍的な感情であるならば、
わざわざ明白な表現にせずともよいではないか、と。
それを言外に感じさせる表現はいくらでもあるだろうと。

よって、私なりのI miss you. を「彼」に送り、本稿を閉じさせていただきます。



『貴方がいた日々は、
とても楽しかったです。
どうか暫し安らかに。
何年先になるか分かりませんが、
またお会いしましょう。』

炎天

靴音の揺らぎとなりてくる劫暑
季語:劫暑

嶺雲の満つる峯より来るバス
季語:嶺雲


先日、熱中症にかかりました。
病院にかかったわけではありませんでしたが、
十分な水分と塩分をとりつつ、
クーラーの効いた自宅で安静にしていたら治りました。

炎帝のしじまも夏らしく感じられる季節、くれぐれもご自愛くださいますよう。
それでは失礼。

嶺雲

古賀春江

いつだかに、古賀春江という日本人画家を敬愛していると、
ここで申し上げたような淡い記憶があります。

陽炎に意識を飛ばしてしまいそうな時節に、
彼の絵を見るのも一興かと思います。

(そういえば、久々の「鑑賞」カテゴリですね)

ということで、今日は三点をご覧に入れたいなと。
まず、一点目は、わかりやすく。

煙火 (1927)
「煙火」 (1927)

のどやかに楽しげに見えて、どこか烈火の爆撃にすら見えるような、
不思議な安楽と不安の同居した絵であるように思います。

その点で、私が好きな一枚であります。

ネット上で情報を漁っていますと、
どうやら古賀はこの絵を「華々しい」ものとして描いたようです。
しかし、であるならば、なぜ私はこの絵に不安を思うのでしょうか。

この絵が創作されて僅か10年もなく彼は他界しました。
当時の画家よろしく、当時からしても甚だ若いうちに。

その薄命さを考えるとき、この不安の同居は得心させるものがあります。

ちなみに、安楽と不安の同居を考えるとき、
「夏」というのは、まさにそうではないか、
そうやって、しみじみ思うことがあります。
そういう意味で、いまご覧に入れるには丁度かと思いました。

さて、次は二点目です。

涯しなき逃避 (1930)
「涯しなき逃避」 (1930)

「果」ではなく「涯」とありますから、これは水平線でしょうか。
「これ」(彼?もしくは彼女?)は一体?
くるぶし(のようなもの)には、何やら丸いものが。
その真下には、永劫を思わせるかのような、螺旋(のようなもの)。

「思わせる」というよりは、「念はする」と感じ得る絵でしょう、
なぜこのように感じ得るのかは、一向にわからないのですがね。

当時、どうやら彼は、精神を害した人の造形に、
関心を寄せていた形跡があるようです。

彼自身、何をどこまで「念って」いたのか、
今となっては知るすべもありませんが。

ささ、早くも、
最後にお見せするのは、彼の絶筆です。

サーカスの景 (1933)
「サーカスの景」 (1933)



我々からすれば、最も「まとも」に見えるかもしれません。



しかし、ここまでを見たとき、

果たして「まとも」とは何かについて、

考えなければなりません。



例えば、脳卒中等による損傷や、生まれついての脳の一部の欠損などによって、

様々な形で認識が欠落している人間がいたとします。



彼らは、或る認識論的枠組みが、一切機能することがありません。

その欠落にすら、自分では気づけません。



その人の世界は、甚だしい不便さを伴いつつも、

一方では、非常に「自然な」形をもって、欠落を有することになるでしょう。



これは、認識論的基盤、認識論的体系を共有しないような、

他者同士の間で生じる齟齬と、構造的に類似しています。



例えば、地球人類よりも、遥かに高度な生体的能力と文明を発達させた、

宇宙外「生命」(のように地球人類には見えるもの)が、

地球人類と邂逅して、差別を始めるような構造に。



我々、「健常者」であると思っている人々についても、

不可知の領域は一定程度、想定することができる以上は、

全く異なる(あるいは進歩した)存在論的基盤を有する存在の側から見れば、

同様に「障碍」を有する者であることになるでしょう。



そして、古賀が何を感じ、何を考えていたのかを知るすべがない点では、

我々が、古賀の有する認識論的基盤を有さないということになります。



多少の誤解を諦めて簡単に言えば、

彼が我々からすれば「異常」である以上に、

我々が彼からすれば「異常」であり「欠落」している、

こういうことになります。



さて、「まとも」とは何でしょうか。



私にも、わかりませんがね。



そして、少なくとも、彼の世界には「詩」があります。

美学的・喚起的な性質を用いて表現される「韻」があり、

なんとも「レトリカル」であり、

"Negatively Capable"である点において。



何だかよくわかりませんがね。

催涙雨

聖堂に跫々たるや送梅雨
季語:送梅雨


七夕の雨を指して、織姫と彦星が会えず流した涙に喩えた「催涙雨」なる言葉があります。

昔の人もロマンチックなことを考えたんだなと染み入りますが、この季節の雨、梅雨が終わるかという時期の雨は、昔から雷雨を伴うことも知られており、これを指して「送梅雨」という季語も存在します。

平成三十年度七月豪雨と名称を決定された今度の大雨は、厳密にいえば関東では梅雨明け後の雨でしたから、なんと呼ぶべきなのかという問題はございますが、粛然たる祈りを捧げんがために、緊張感のある一句をここ数日で練ってみました。

これ以上は何も申し上げません。
唯、ご冥福をお祈り申し上げます。

梅雨明

彼には強い妄想癖があった。

例えば学校の授業中、例えば通学の電車の中、例えば散歩の土手の上で、思考が吹き飛ぶこともしばしばであった。

こんなものは一例に過ぎないが、生まれて初めてのひき算の授業で妄想を発揮したので、まったく問題が解けず、いきなり号泣してクラスメイトを困惑させたこともある。それほどにひどかったし、それなりに日常に障をきたした。

彼の比較的に恵まれた人間関係、記憶力、想像力などが幸いしてか災いしてか、彼の悪癖は、その思春期までを覆い尽くすほどに拡がり続けた。

その中では、いつでも、どこでも、何でも、誰にでも、何度でも…好きなように、好きなままに、振る舞うことができた。彼は、あるときはウルトラマンであり、またあるときはポケモントレーナーだった。どんな難事件でも解決できたし、どれほど大きな舞台の上でも、見事な漫才を披露することができた。どんな球速の魔球でも打ち返せたし、どれほど経営難の会社でも再建してみせた。どんな質問趣意書が来てもそつなく答弁し、どれほど難しい分野についても大教室で教鞭を取ることができた。

彼の現在置かれた状況も、おおかた、かような数多の妄想の範疇にあるといってよい。それはそうだろう、想像可能な上限と下限を、時間のあるときに好きなだけ妄想していられれば。その意味で彼の人生は、常に、彼にとって「想定内」であったし、その意味で、彼の人生は、彼にとって安んずるに十分なものだった。

平成15年にひき算に泣いた彼は、今、平成30年の初夏にいた。彼の妄想がぱたりとやんでから、2年と少しが経とうとして入る。

決して、やめたのではない。
ぱたりとやんだのだ。

本当に、ぱたりと音が聞こえたほどに、ぱたりとやんだのだ。

そうしてから、彼は俳句の勉強をするようになった。
機会があればやってみたいと、長らく思っていたところだった。

そのような自分は、しかしながら、今までに妄想したことのない自分の姿であった。まさか歳時記を探して書店をめぐるとは思いも寄らなかったし、こうして俳句を作りためることなど、妄想したこともなかった。

こうして、彼はやっと、霧中を見つけた。


という文章を唐突に思いついて書きなぐって見たんですが、どなたか上手いことつなげて、短編にでもしてもらえませんかね??
(こんな文章を思いつくくらいだから、まだまだ自分の妄想力も捨てたもんじゃないな)


さて、いつも通りの俳句は以下です。
最近、同級生に無茶ぶりで俳句を作らされることがあって、そのためにいくらか作りためたものです。一気にご覧ください。

平成最後の夏ですね。
みなさまの益々のご清栄をお祈り申し上げます。



空き部屋のくらやみとなる迎え梅雨
季語:迎え梅雨

入梅や 友のメアドの消去音
季語:入梅

電柱のかげ跳びこえて南風に入る
季語:南風(はえ)

パイプ椅子畳み初蝉二つ三つ
季語:初蝉

夏のヴェトゥイユ_クロード・モネ
クロード・モネ「夏のヴェトゥイユ」(1879年)

cinéma

別珍に居敷のどけき幕のあと
季語:のどけき

先日、某所の名画座に参りました。

通学路でのふとした寄り道でしたから、何を見ようかと名画座のポスターを前に突っ立ち、それにしても私のようなものがこれ以上足を踏み入れてよいものかと逡巡をしていたところ、

「あなた、お迷いなのでしょう?」

と、振り返ると、少ししゃがれつつも御上品なお声の、美しいお着物をお召しになったご婦人が微笑んでおります。

こちらも小首をかいて素直に頷いたところ、それではご一緒しましょうといきなり仰るので、どうも困ってしまいました。

お年寄りにお声をかけられると、どうも長話になる傾向があります。加えて言葉遣いや発声や声量にも心を遣らねばならず、話を合わせる努力もときには要します。

かといって断る理由もあるわけでもなし、正直に申し上げるような図太さもなし、彼女の世間話に神経をつかいながら、手を引かれるように彼女を追って、お隣に小さくなって座りました。

はて、これは何の映画だったろうかと、神経を全く使わなかったことへの悔悟の目を入り口のほうに送っていると、彼女はこんなことを仰るのです。

「ーーーこれは、あたくしが、ちょうどあなたほどの頃に観た作品でーーー」

二人称で「あなた」と呼ばれた経験など持ち合わせず、というよりも、そもそもこのようなお言葉遣いの方とお話させていただくような経験など一切持ち合わせぬ私には、なんともむず痒いというか、浮き足立つというか、小首をかきながらお話を聞いておれば、古いブザーが鳴って暗転しました。

お馴染みの東宝の文字が先ずスクリーンに打ち出されますが、日常のものと異なるのは、それがモノクロだったことです。

なんと…と愈々困惑しておると、おもむろにご婦人が荷物を手に席を立つではありませんか。

「ーーーごめんなさいね、少し用があってーーー」

なんということでしょう。

こちらは名も知らぬ老人の思い出の映画を、その人なしで観ろと言うのか。

苛立ちより先に呆れてしまい、口を開けて入り口に向かうその背をうち見ていると、映画が始まってしまいました。

クリステヴァの言う「ねじれたホスピタリティ(perverse hospitality)」とはまさにこれか、と、わけの分からぬモノローグを紡ぎながら、作品の世界が始まってゆきました。

ーーーーーーーーーー

ところが、というか、案の定、というか、名作だったわけですね、これが。

私が観ていたのは、往年の大女優(といってもお名前しか伺ったことがなく御尊顔を拝見すること自体が初めてでしたが)高峰秀子さん主演の『名もなく貧しく美しく』という作品でした。

9割5分の辛さを5分の優しさのために耐え続ける健気さは現在ではなかなか描きづらく共感も得づらい作品かもしれません。つい先日、『火垂るの墓』がテレビ放送されていましたが、あの作品の放映の後には、テレビ局に「あんなに悲しい作品を放送しないでほしい」「見たくない、子どもにも見せたくない」などの意見が多く寄せられるそうです。そのような時勢には、さらに放映しづらくなっている類の作品でしょうね。

目頭を押さえ早々と席を立つ私を、入り口の外で先刻のご婦人が紙袋を片手に待っていらしました。

「どうだったかしら」

と微笑まれたのを、私は小首をかいて二度頷いたのでした。

別珍に居敷のどけき幕のあと
季語:のどけき

オールド・シネマ

金打の駒音ゆるゆると霾る
季語:霾る

鉄錆の如き夕暮れ霾曇
季語:霾曇

霾る…つちふる
霾曇…つちぐもり

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何かと忙しくなってきて更新を怠った結果、妙な広告が自身のブログ上に表示されるようになったことが鬱陶しく腹立たしく、このように更新しました。忙しいのは仕方ないでしょうに、ねえ?

ということで、この季節に鬱陶しく腹立たしいものといえば、洗濯物を干す際のベランダに積もる黄砂であろうと思い立ち、このような句作をもって記事を更新いたしました。

前者の句は字余りですが、韻を踏むことで詩として読みやすいように配慮したつもりです。金打という語について、通常ならば「金打(きんちょう)」(武士が誓いを交わす際に刀の鍔で音を立てる行為)と勘違いされるのでは…との懸念がありましたが、直後に「駒音」とあれば「将棋において金将の駒を打ったこと」だと判断できるだろうと思い、このようにしました。勘違いされてでも「金」を選びたかったのは、「霾る」の色のイメージとの共鳴を重視したかったからです。「金」の一字と「ゆるゆると」の言葉で、晴れ間を想像していただきたく、そして真剣勝負をも包み込むかのような春塵がそこにあることを詠める句になっていればと思う次第です。

後者は読んで字のごとく。上五・中七と季語との取り合わせが「即かず離れず」を実現できているか否かによります。個人的には、即き過ぎではとの懸念もあるのですが…。ただ、「鉄錆のごとき霾曇」とするよりかは如何程かの改善を図っていること、そうした色の夕暮れのあり得べきイメージを惹起させたいという意図がどうしても勝ったことで、このようにいたしました。

いやあ、それにしても。
この写真の空気の汚れようと言ったらもう。。。
田舎に帰りたいと思わざるを得ませんね。

金打の駒音ゆるゆると霾る
季語:霾る

鉄錆の如き夕暮れ霾曇
季語:霾曇
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