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お久しぶりです

ひそやかに抱いていた1週1句のモットーを守ることができず、

そもそも更新すらままならない日々が続いておりましたが、

この度、某国立大学の大学院に進学することが決まりました。

よって、本ブログを閉鎖することもなく、
引き続き由無し事の掃き溜めとして使わせていただければと思います。

掃き溜めをたまにご覧になるみなさま、本当にごめんなさい。
引き続き、お付き合いいただけると幸いです。

追想

ハイウェイに聴き終ふる百物語
季語:百物語

川の字の酔ひどれ彦星の笑ふ
季語:彦星

海原にむら雲の消ぬ終戦日
季語:終戦日


台風一過、秋を纏ふてくる風の折節に、私は東京の一室に居ります。

帰省を終え数日、本格的に勉強を始めねばと机に向うて居りますが、
集中が続かず、かくて別の世界に逃避せんとするのです。

以上は、帰省中にここぞとばかり作り溜めた俳句です。

暦の上では秋ですが、とはいえまだ8月ですので、
夏の季語と秋の季語を織り交ぜてのご提供です。

類想類句、じゅうぶん存在だらうと思ひます。
なにせ頻繁には句作できないものですから。

なあに、ただの言い訳ですがね。

さて、俳句は今日はこれくらいにして。
以下は重くなるので、読もうとも読まずとも各々ご自由に。

茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)
サルヴァドール・ダリ「茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)」(1936年)



I miss you.
という英語には、ぴたりと合った日本語訳がないということを耳にしました。

なるほど。

では、その観想を、とある唐突な出来事によって得てしまった僕は、
これをどのように日本語の言葉にして表現すればよいでしょうか。

そのために、少々迂遠であることは承知の上で、
先ずはI miss you.の意味の把握から。

これをあえて硬く日本語にするならば、
『彼の不在にいまだ慣れない』
という感じになるそうです。

ふむ、なるほど。

では少しばかり考えて参りましょう。

私にとっての「彼」とは、高校卒業以後ずっと離れた地に暮らしていました。
考えてみると、その4年間でお会いできたのは、たったの2回でしたかね。

今気づくと、その間、私は「彼」の「不在」を意識もしませんでした。
つまり、実質的には「不在」のはずなのに、それを意識しなかったのです。
目の前にはいないけれど、どこかに必ずいるだろうという形で、
「不在」を受け入れなかったのです。

それが、今では、私にとっての実質的な状態が何ら変化していないのに、
「彼」の「不在」を「不在」として受け入れ、それを意識してしまいます。

高校卒業以後、今までも、これからも、
私にとっては実質的にずっと「不在」であり続けたはずの「彼」を、
しかし私は、これからは、
「不在」として受け入れねばならないし、意識せねばならない。

ここにおいて腑に落ちました。

すなわち、私たちにとって、実質的に「不在」である人はたくさんいます。
私の両親や兄弟も或いは友人のほとんども、
「今、私の目の前にいない」という意味では、実質的に「不在」であり続けます。
しかし、私は実際のところ、それを「不在」と受け入れない、意識もしない。
そういうことがあって初めて、「不在」を受け入れ、そして「不在」を意識すると。

しかし、本来であれば、先に受け入れなければ
「不在」を十全に意識するなどできないはずなのに、
儀礼を通すことによって、人間はしばしば、
受け入れる前にそれを意識することを強いられる。

そうなると、受け入れられてもいないのに、
先に意識させられることによって、
(そして、受け入れるという営為そのものの「不在」によって、)
「彼」の「不在」がいっそう際立ってしまう。

我々には、そういったことがしばしば生じます。
それを指してI miss you. と言ったのではないでしょうか。

したがってI miss you.の意味は、

『彼の「不在」を「不在」として意識させられながら、
しかし、その「不在」を受け入れられないでいること。
それによって、さらに「不在」がいっそう際立ち、
それを意識させられてしまうこと。』

人間があまねく抱きうる、ある種の「不在」のスパイラル。
それがI miss you.ではないかと。

ここまで考えた時、はたと気がつきました。
こうも普遍的な感情であるならば、
わざわざ明白な表現にせずともよいではないか、と。
それを言外に感じさせる表現はいくらでもあるだろうと。

よって、私なりのI miss you. を「彼」に送り、本稿を閉じさせていただきます。



『貴方がいた日々は、
とても楽しかったです。
どうか暫し安らかに。
何年先になるか分かりませんが、
またお会いしましょう。』

炎天

靴音の揺らぎとなりてくる劫暑
季語:劫暑

嶺雲の満つる峯より来るバス
季語:嶺雲


先日、熱中症にかかりました。
病院にかかったわけではありませんでしたが、
十分な水分と塩分をとりつつ、
クーラーの効いた自宅で安静にしていたら治りました。

炎帝のしじまも夏らしく感じられる季節、くれぐれもご自愛くださいますよう。
それでは失礼。

嶺雲

古賀春江

いつだかに、古賀春江という日本人画家を敬愛していると、
ここで申し上げたような淡い記憶があります。

陽炎に意識を飛ばしてしまいそうな時節に、
彼の絵を見るのも一興かと思います。

(そういえば、久々の「鑑賞」カテゴリですね)

ということで、今日は三点をご覧に入れたいなと。
まず、一点目は、わかりやすく。

煙火 (1927)
「煙火」 (1927)

のどやかに楽しげに見えて、どこか烈火の爆撃にすら見えるような、
不思議な安楽と不安の同居した絵であるように思います。

その点で、私が好きな一枚であります。

ネット上で情報を漁っていますと、
どうやら古賀はこの絵を「華々しい」ものとして描いたようです。
しかし、であるならば、なぜ私はこの絵に不安を思うのでしょうか。

この絵が創作されて僅か10年もなく彼は他界しました。
当時の画家よろしく、当時からしても甚だ若いうちに。

その薄命さを考えるとき、この不安の同居は得心させるものがあります。

ちなみに、安楽と不安の同居を考えるとき、
「夏」というのは、まさにそうではないか、
そうやって、しみじみ思うことがあります。
そういう意味で、いまご覧に入れるには丁度かと思いました。

さて、次は二点目です。

涯しなき逃避 (1930)
「涯しなき逃避」 (1930)

「果」ではなく「涯」とありますから、これは水平線でしょうか。
「これ」(彼?もしくは彼女?)は一体?
くるぶし(のようなもの)には、何やら丸いものが。
その真下には、永劫を思わせるかのような、螺旋(のようなもの)。

「思わせる」というよりは、「念はする」と感じ得る絵でしょう、
なぜこのように感じ得るのかは、一向にわからないのですがね。

当時、どうやら彼は、精神を害した人の造形に、
関心を寄せていた形跡があるようです。

彼自身、何をどこまで「念って」いたのか、
今となっては知るすべもありませんが。

ささ、早くも、
最後にお見せするのは、彼の絶筆です。

サーカスの景 (1933)
「サーカスの景」 (1933)



我々からすれば、最も「まとも」に見えるかもしれません。



しかし、ここまでを見たとき、

果たして「まとも」とは何かについて、

考えなければなりません。



例えば、脳卒中等による損傷や、生まれついての脳の一部の欠損などによって、

様々な形で認識が欠落している人間がいたとします。



彼らは、或る認識論的枠組みが、一切機能することがありません。

その欠落にすら、自分では気づけません。



その人の世界は、甚だしい不便さを伴いつつも、

一方では、非常に「自然な」形をもって、欠落を有することになるでしょう。



これは、認識論的基盤、認識論的体系を共有しないような、

他者同士の間で生じる齟齬と、構造的に類似しています。



例えば、地球人類よりも、遥かに高度な生体的能力と文明を発達させた、

宇宙外「生命」(のように地球人類には見えるもの)が、

地球人類と邂逅して、差別を始めるような構造に。



我々、「健常者」であると思っている人々についても、

不可知の領域は一定程度、想定することができる以上は、

全く異なる(あるいは進歩した)存在論的基盤を有する存在の側から見れば、

同様に「障碍」を有する者であることになるでしょう。



そして、古賀が何を感じ、何を考えていたのかを知るすべがない点では、

我々が、古賀の有する認識論的基盤を有さないということになります。



多少の誤解を諦めて簡単に言えば、

彼が我々からすれば「異常」である以上に、

我々が彼からすれば「異常」であり「欠落」している、

こういうことになります。



さて、「まとも」とは何でしょうか。



私にも、わかりませんがね。



そして、少なくとも、彼の世界には「詩」があります。

美学的・喚起的な性質を用いて表現される「韻」があり、

なんとも「レトリカル」であり、

"Negatively Capable"である点において。



何だかよくわかりませんがね。

催涙雨

聖堂に跫々たるや送梅雨
季語:送梅雨


七夕の雨を指して、織姫と彦星が会えず流した涙に喩えた「催涙雨」なる言葉があります。

昔の人もロマンチックなことを考えたんだなと染み入りますが、この季節の雨、梅雨が終わるかという時期の雨は、昔から雷雨を伴うことも知られており、これを指して「送梅雨」という季語も存在します。

平成三十年度七月豪雨と名称を決定された今度の大雨は、厳密にいえば関東では梅雨明け後の雨でしたから、なんと呼ぶべきなのかという問題はございますが、粛然たる祈りを捧げんがために、緊張感のある一句をここ数日で練ってみました。

これ以上は何も申し上げません。
唯、ご冥福をお祈り申し上げます。

梅雨明

彼には強い妄想癖があった。

例えば学校の授業中、例えば通学の電車の中、例えば散歩の土手の上で、思考が吹き飛ぶこともしばしばであった。

こんなものは一例に過ぎないが、生まれて初めてのひき算の授業で妄想を発揮したので、まったく問題が解けず、いきなり号泣してクラスメイトを困惑させたこともある。それほどにひどかったし、それなりに日常に障をきたした。

彼の比較的に恵まれた人間関係、記憶力、想像力などが幸いしてか災いしてか、彼の悪癖は、その思春期までを覆い尽くすほどに拡がり続けた。

その中では、いつでも、どこでも、何でも、誰にでも、何度でも…好きなように、好きなままに、振る舞うことができた。彼は、あるときはウルトラマンであり、またあるときはポケモントレーナーだった。どんな難事件でも解決できたし、どれほど大きな舞台の上でも、見事な漫才を披露することができた。どんな球速の魔球でも打ち返せたし、どれほど経営難の会社でも再建してみせた。どんな質問趣意書が来てもそつなく答弁し、どれほど難しい分野についても大教室で教鞭を取ることができた。

彼の現在置かれた状況も、おおかた、かような数多の妄想の範疇にあるといってよい。それはそうだろう、想像可能な上限と下限を、時間のあるときに好きなだけ妄想していられれば。その意味で彼の人生は、常に、彼にとって「想定内」であったし、その意味で、彼の人生は、彼にとって安んずるに十分なものだった。

平成15年にひき算に泣いた彼は、今、平成30年の初夏にいた。彼の妄想がぱたりとやんでから、2年と少しが経とうとして入る。

決して、やめたのではない。
ぱたりとやんだのだ。

本当に、ぱたりと音が聞こえたほどに、ぱたりとやんだのだ。

そうしてから、彼は俳句の勉強をするようになった。
機会があればやってみたいと、長らく思っていたところだった。

そのような自分は、しかしながら、今までに妄想したことのない自分の姿であった。まさか歳時記を探して書店をめぐるとは思いも寄らなかったし、こうして俳句を作りためることなど、妄想したこともなかった。

こうして、彼はやっと、霧中を見つけた。


という文章を唐突に思いついて書きなぐって見たんですが、どなたか上手いことつなげて、短編にでもしてもらえませんかね??
(こんな文章を思いつくくらいだから、まだまだ自分の妄想力も捨てたもんじゃないな)


さて、いつも通りの俳句は以下です。
最近、同級生に無茶ぶりで俳句を作らされることがあって、そのためにいくらか作りためたものです。一気にご覧ください。

平成最後の夏ですね。
みなさまの益々のご清栄をお祈り申し上げます。



空き部屋のくらやみとなる迎え梅雨
季語:迎え梅雨

入梅や 友のメアドの消去音
季語:入梅

電柱のかげ跳びこえて南風に入る
季語:南風(はえ)

パイプ椅子畳み初蝉二つ三つ
季語:初蝉

夏のヴェトゥイユ_クロード・モネ
クロード・モネ「夏のヴェトゥイユ」(1879年)

cinéma

別珍に居敷のどけき幕のあと
季語:のどけき

先日、某所の名画座に参りました。

通学路でのふとした寄り道でしたから、何を見ようかと名画座のポスターを前に突っ立ち、それにしても私のようなものがこれ以上足を踏み入れてよいものかと逡巡をしていたところ、

「あなた、お迷いなのでしょう?」

と、振り返ると、少ししゃがれつつも御上品なお声の、美しいお着物をお召しになったご婦人が微笑んでおります。

こちらも小首をかいて素直に頷いたところ、それではご一緒しましょうといきなり仰るので、どうも困ってしまいました。

お年寄りにお声をかけられると、どうも長話になる傾向があります。加えて言葉遣いや発声や声量にも心を遣らねばならず、話を合わせる努力もときには要します。

かといって断る理由もあるわけでもなし、正直に申し上げるような図太さもなし、彼女の世間話に神経をつかいながら、手を引かれるように彼女を追って、お隣に小さくなって座りました。

はて、これは何の映画だったろうかと、神経を全く使わなかったことへの悔悟の目を入り口のほうに送っていると、彼女はこんなことを仰るのです。

「ーーーこれは、あたくしが、ちょうどあなたほどの頃に観た作品でーーー」

二人称で「あなた」と呼ばれた経験など持ち合わせず、というよりも、そもそもこのようなお言葉遣いの方とお話させていただくような経験など一切持ち合わせぬ私には、なんともむず痒いというか、浮き足立つというか、小首をかきながらお話を聞いておれば、古いブザーが鳴って暗転しました。

お馴染みの東宝の文字が先ずスクリーンに打ち出されますが、日常のものと異なるのは、それがモノクロだったことです。

なんと…と愈々困惑しておると、おもむろにご婦人が荷物を手に席を立つではありませんか。

「ーーーごめんなさいね、少し用があってーーー」

なんということでしょう。

こちらは名も知らぬ老人の思い出の映画を、その人なしで観ろと言うのか。

苛立ちより先に呆れてしまい、口を開けて入り口に向かうその背をうち見ていると、映画が始まってしまいました。

クリステヴァの言う「ねじれたホスピタリティ(perverse hospitality)」とはまさにこれか、と、わけの分からぬモノローグを紡ぎながら、作品の世界が始まってゆきました。

ーーーーーーーーーー

ところが、というか、案の定、というか、名作だったわけですね、これが。

私が観ていたのは、往年の大女優(といってもお名前しか伺ったことがなく御尊顔を拝見すること自体が初めてでしたが)高峰秀子さん主演の『名もなく貧しく美しく』という作品でした。

9割5分の辛さを5分の優しさのために耐え続ける健気さは現在ではなかなか描きづらく共感も得づらい作品かもしれません。つい先日、『火垂るの墓』がテレビ放送されていましたが、あの作品の放映の後には、テレビ局に「あんなに悲しい作品を放送しないでほしい」「見たくない、子どもにも見せたくない」などの意見が多く寄せられるそうです。そのような時勢には、さらに放映しづらくなっている類の作品でしょうね。

目頭を押さえ早々と席を立つ私を、入り口の外で先刻のご婦人が紙袋を片手に待っていらしました。

「どうだったかしら」

と微笑まれたのを、私は小首をかいて二度頷いたのでした。

別珍に居敷のどけき幕のあと
季語:のどけき

オールド・シネマ

金打の駒音ゆるゆると霾る
季語:霾る

鉄錆の如き夕暮れ霾曇
季語:霾曇

霾る…つちふる
霾曇…つちぐもり

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何かと忙しくなってきて更新を怠った結果、妙な広告が自身のブログ上に表示されるようになったことが鬱陶しく腹立たしく、このように更新しました。忙しいのは仕方ないでしょうに、ねえ?

ということで、この季節に鬱陶しく腹立たしいものといえば、洗濯物を干す際のベランダに積もる黄砂であろうと思い立ち、このような句作をもって記事を更新いたしました。

前者の句は字余りですが、韻を踏むことで詩として読みやすいように配慮したつもりです。金打という語について、通常ならば「金打(きんちょう)」(武士が誓いを交わす際に刀の鍔で音を立てる行為)と勘違いされるのでは…との懸念がありましたが、直後に「駒音」とあれば「将棋において金将の駒を打ったこと」だと判断できるだろうと思い、このようにしました。勘違いされてでも「金」を選びたかったのは、「霾る」の色のイメージとの共鳴を重視したかったからです。「金」の一字と「ゆるゆると」の言葉で、晴れ間を想像していただきたく、そして真剣勝負をも包み込むかのような春塵がそこにあることを詠める句になっていればと思う次第です。

後者は読んで字のごとく。上五・中七と季語との取り合わせが「即かず離れず」を実現できているか否かによります。個人的には、即き過ぎではとの懸念もあるのですが…。ただ、「鉄錆のごとき霾曇」とするよりかは如何程かの改善を図っていること、そうした色の夕暮れのあり得べきイメージを惹起させたいという意図がどうしても勝ったことで、このようにいたしました。

いやあ、それにしても。
この写真の空気の汚れようと言ったらもう。。。
田舎に帰りたいと思わざるを得ませんね。

金打の駒音ゆるゆると霾る
季語:霾る

鉄錆の如き夕暮れ霾曇
季語:霾曇

市民性、道徳、学校 (1)

市民性(citizenship)が教育の対象となって久しい。神奈川県においてシチズンシップ教育が開始されてから、はや10年が経過し、今や主権者教育という形で全国的にこれを推進するよう文科省と総務省が方針を打ち出すまでに至っている。

また、これと同期するかのように、2006年改正教育基本法第2条第5号に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」態度の育成が、教育の目標の1つと位置付けられた。それから10年余りが経過し、ついに道徳が中等教育においても教科化され評価が加えられるようになった。

これらの改革には、様々な要因が絡んでおり一概に語ることは不当である。しかし、甚だ大掴みに言ってしまえば、民主主義や道徳あるいは市民性を身につけさせるべきだという問題意識が教育に対して要請した改革であり、そうした潮流の中に位置付けられるものだろうと思う。

しかし、民主主義や道徳あるいは市民性とは何たるか。
そのようなものを定義づけることなど果たして可能なのか。
そうしたことを身につけさせる場としての学校はいかなる役割を担うべきか。
また、そもそもの問題として、現代という新たなフェーズにおいて、もともと「近代学校」として整備された学校というものは、どのような役割を有する場であるべきか。

問いは尽きない。いや、問いが常に現前する(present)という意味においては、必然として永遠に問われ続けると言うべきであろう。それは、その問いの性質から論理的に演繹可能であるように思われる(その詳細が本稿においては述べることができない)。

本稿は、こうした問いのうち、「市民性」に関する現時点での管見を、寡聞ながらメモ書き程度に残すものである。

市民性についての考察

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(「市民ケーン」[1]より)

そもそも、市民とはどのような存在であるか。
単なる都市住民を指す語に過ぎないのであれば教育目標に置く必要もない。
それでは、一体?

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典によれば、「市民」とは「ある国家,社会ならびに地域社会を構成する構成員 (メンバー) 」を意味するらしい。すなわち、特定の政治集団あるいは国家に属する成員を市民と呼ぶのである。であるとするならば、そうした成員として備うべき様態を指して「市民性」と呼ぶのだろう。

これが人々の意識を反映した市民性概念のリアリティーではあろう。
実際に、この定義に納得された読者諸君も多いのではないか。

しかしながら、このリアリティーには極めて大きな問題が潜在する。それらは、世界史的な節目節目に於いて、極めて残酷で暴力的な形をとって顕現してきた。

その問題は、この市民性概念がfraternity(同胞愛)によって支えられるものだという性質によっている[2]

その話に本格的に移るには、ハンナ・アレントによる検討を大まかに概説せねばならない。

古代ギリシアにおける人間の生活範囲は、公的領域としてのpolis(ポリス)と私的領域としてのoikos (オイコス)という、2つの領域に区分可能であった(polisは政治空間を意味し、oikosは家 を意味すると便宜上とらえていただくと今はわかりやすいかもしれない)。さて、このpolisの領域には公共的な政治空間においてなされるべき様々な活動が交わされた一方で、oikosの領域の人間の活動には、いわば家庭の仕事として、子供の教育や訓練、自分たちの身の回りの世話などが存在した。このようにpolisとoikosでは人間の活動が明確に弁別されていたために、前者における人間の生のありようと後者の人間の生のありようも区別された。polisにおける人間の生はbiosと呼ばれ、oikosにおける人間の生はzoeと呼ばれた[3]

また、polisは異質な他者との対話のために開放された場であったため、そこでは連帯のための絆はphilia(友愛)と呼ばれる。一方のoikosは同質な属性を有する家族同士の閉鎖的な集団内であったため、そこでの絆としてfraternity(同胞愛)と呼ばれる。この両者は区別されるべきものであった[4]

このpolis―bios―philiaとoikos―zoe―fraternityとの対比が、古代ギリシアの特徴であったとハンナ・アレントは見出したのである。

さて、時代は移って近代である。

近代という時代は、今まではoikosの中で匿われていたzoeが対象化された。これをフーコーは、権力の前に「剥き出しの生」として引きずり出されることとなったと表現した[5](「剥き出しの生」については、水槽の中、バリアの認知を各自参照されたい)。それに伴い、従来はoikosに閉じ込められていた教育や保健・衛生などが権力の所掌するところとなった。

ちなみに、この点について、「私的領域に対して権力が侵食した」という理解を抱く人がどうやら多いようである。おそらく「公的領域=政治空間=権力の発言する空間」という理解が先行することによるものだと思われるが、これはアレント的には誤っている。なぜならば、アレントにとっての公的領域や政治空間とは、biosを基盤として形成される場であるからだ。そうではなくて、polisがoikos化したことで、国家の扱うべき対象がoikosの対象たるzoeとなったと理解した方がよい。すなわち、アレント的には、私的領域が拡張して公的領域を呑み込んだこと、くどいほどに換言すればoikosがpolisを呑み込んだこと、これが近代の大きな特徴であったというのだ。例えば、「家政術oikonomos」という語が「経済economy」の語源となっていることは適切な証左として挙げられるかもしれない。oikosの圏域が著しく拡張されたことが、この言葉の変化を見るとわかりやすいのではないか。

これによって、甚だ憂慮すべき事態が生じた。すなわち、同質性に立脚する同胞愛fraternityが政治空間を跋扈するようになったことである(そして、これが市民性について考える際にも大きな問題となる)。このことを端的に表す事象は、国民国家nation stateの成立、国民主義nationalismの蔓延である。

政治空間から異質な他者との対話を可能にさせていた友愛philiaが著しく後退し、同質性に立脚する同胞愛fraternityが蔓延するようになったことは、共同体内の均質化を促し、その過程での様々な抑圧や排除が生じる原動力となったのである。小玉重夫はこのような「社会的なるもの」の登場によって公的領域が解体されたと述べた。すなわち、oikosの拡張によって登場した「社会的なるもの」によって、polisが消失したのである[6]

さて、冒頭に挙げた「市民」の定義を今一度思い出されたい。「ある国家,社会ならびに地域社会を構成する構成員 (メンバー) 」である。この「国家、社会ならびに地域社会」がfraternityによって規定されている限り、これは、我々が「常識的に」抱いている市民性の理解に違わないにもかかわらず、非常に危険な理解となる。それは、ナチズムやスターリニズムといった全体主義的な様態で最も極端かつ残酷に顕現したからだ。世界史が苦手な人には、漫画『20世紀少年』を思い出してもらってもよいかもしれない。作中で「ともだち」が求めた連帯は、まさしく同質性に立脚するものであったはずだ。

『20世紀少年』の最終巻、中学生時代の屋上にて、「ともだち」と「ケンヂ」の次のようなやりとりが見られる。

ともだち「僕と"ともだち"になってくれる?」
ケンヂ「別にいいけどさ・・・・友達なんてなろうって言って、なるもんじゃないぜ。」

ジャック・デリダの友愛論[7]を引き継いだジョルジョ・アガンベンは、友愛とは主体属性でも特性でもないと著書において断言する[8]

そう、「ともだち」とは、主体属性でも特性でもないため、ケンヂの言った通り、なろうと言ってなるものではないのだ。しかし、近代国民国家は、fraternityによる連帯を求めた。一人一人のzoeに対し「国籍」という主体属性と「市民権」との紐づけをもって連帯させようとした。

この結末が悲惨なのは、こうしたfraternityの席巻の下では、人が「国籍」を剥奪されると、それと同時に「市民権」を失ってしまうことであり、一切のfraternityを喪失する運命にあることである。このとき、公共空間にもはやphiliaがなければ、彼らのzoeはまさしく「剥き出し」のまま権力の前に捨て置かれることとなる。あとは、収容所に送られるか、不安定な地位のまま劣悪な環境での生活を強いられるか、はたまた闘争に身を投じるか。

難民、収容所の中のユダヤ人、一次大戦後に解体された国(オーストリア=ハンガリー帝国やロシア帝国など)に動員されて敵国で捉えられた戦争捕虜、あるいは日本史上の棄民…

彼らの生活がいかに困難であったかは想像に難くないが、しかし何処か他人事のようでもある。こうした危機を真剣に考える人はそういないし、いたとしても、むしろfraternityによる「秩序」に固執する方向に進む人がほとんどなのではないか。

こうした状況において、われわれはどうあるべきであろうか。実は自分なりに、新たな「市民性」概念としていかなる概念が妥当であろうかと考えたことがある。そのときの筆者は、以下のようにして、市民性概念の定義を試みようとした。

「polisの領域は、oikos化したドメスティックな「社会的なるもの」のそれよりも広いものとなり、国民国家を越境するものである必要があると思われ、またcitizenはpolisのラテン語訳たるcivitasが語源であるから、cosmopolitan(世界市民)に求められるかもしれない。もちろん、安直なコスモポリタニズムは、後世のアレクサンドロス的なヘレニズムを含意することがあり、グローバリズムあるいは世界革命論のような、均質化への志向と結びつく危険があることに注意せねばならない。

したがって、ここにおいては、無為自然的に古代ギリシアを生きた、cosmopolitanの提唱者たるディオゲネス的な、原初のcosmopolitanでなければならないだろう。ここで原初といったのは、語源的ということである。cosmosとは「秩序、調和のとれた宇宙、世界」であるが、その対義語であるchaosとは、アガンベンによれば単なる混沌、無秩序状態ではなく、いわば生権力により法が宙吊りされた、主権者とされるzoeが法の内外に二重に存在するような状態であるという[9]。つまり、chaosとは、近代においては、まさしくフーコーの言う生権力の現出[10]であり、まったくzoe的である。とすれば、chaosと対義をなすcosmosとは、bios的であり、友愛に適すといえよう。したがって、cosmopolitanとはcosmo-politanであるから、まさしく原初にpolis的市民性を有するとともに、友愛を支える概念となりうるのではないか。」

しかし、この試みは挫折した。

筆者もやはり、主体属性や特性を無意識中に想定してしまっていたのだ。この自覚をもって、近代のパラダイムに否応なく枠付けられている自身の思考に失望したものである。

そう、これでは、philiaが復権するための条件を整備したことにはならないのである。philiaの著しい後退が、polisという公共空間の消失によってそれが発現する場を失ったことに起因すると考えられる。その場合、polisを復活させうるような範例的規範性を人々に持たせ、そのような公共空間をフォーマルに生成させなければ何ら解決することはできない。

では、polisを復活させ、philiaを取り戻すことが可能であるような範例的規範性とは、一体いかなる基盤によって生成しうるか。

この「範例的規範性」とは、取りも直さず道徳概念に類似するものである。
さらには、ハーバーマス[11]の「公共圏」や「コミュニケーション的行為」の議論なども参照する必要があろう。

そして、これ以降を議論するには、否応無く「道徳をいかにして基礎づけるか」という大きな問題に衝突する。

次に論じるとすれば、まさしくこの問題であろう。

教育学部に属する学生として論じるべき「学校」に議論が還流するにはあまりにも長い道のりであるが、もし機会があれば、続編を期待されたい。市民性についての愚見を述べたところで、今回は筆を置く。

最後に、拙文をここまで読んでいただいたことに感謝を申し上げる。



[1]オーソン・ウェルズ (1941) 『市民ケーン』(原題:CITIZEN KANE) [DVD]、International Visual Corporation。
[2]小玉重夫『市民と難民の間で―ハンナ・アレント『人間の条件』を読み直す―』現代書館、2013年。
[3]ハンナ・アレント『人間の条件』(志水速雄訳)ちくま学芸文庫、1994年。(Arendt, H. (2013). The human condition. University of Chicago Press.)
[4] 前出[2]に同じ。
[5] ジョルジョ・アガンベン『ホモ・サケル―主権権力と剥き出しの生―』(高桑和巳訳、植村忠男解題)以文社、2007年。
[6] 前出[2]に同じ。
[7] ジャック・デリダ『友愛のポリティックス』(鵜飼哲ほか訳)みすず書房、2003年。
[8] Agamben, G.2009. "The Friend", What Is an Apparatus? and Other Essays, Stanford University Press.
[9] 前出[5]に同じ。
[10] ミシェル・フーコー『性の歴史 1 知への意志』(渡辺守章訳)新潮社、1997年。
[11] ユルゲン・ハーバーマスのこと。20世紀を代表する哲学者の一人であり、執筆している現時点(2018/2/8)にも存命であること自体に筆者は恐懼し畏敬の念を抱いた、それほどの知的巨人である。公共圏、コミュニケーション論や政治哲学などにおける第一人者であり、本論に深く関わる事柄についても膨大な議論を蓄積してきた人物であるにもかかわらず、お恥ずかしながら筆者は彼の詳細な議論について不勉強であり、本稿において触れることができない。メモ書きであるとの冒頭での付言や、ブログ上での公開といった、場の「緩さ」をもって、どうかお赦し願えればと思う。

冬景色

水を踏む足の裏まで冴ゆる月
季語:冴ゆる月

笹鳴や仮出所せる日の夜深
季語:笹鳴

あまりに寒いので、こうなればと寒々しい絵をご覧に入れたいと今回は思います。イヴァン・C・アイヴァゾフスキーの「冬景色」です。

見れば見るほど寒々しいですね。
そういえば、寒中見舞い申し上げます。
たわいない吟詠と絵と、もしよろしければ。

冬の風景