一觴一詠9〜彼岸なるデジャヴュ

好評につき、今回もですます調の文体で叙述していきますね〜

彼岸は年に二回あります。季語が重視される俳句の世界においては、秋の彼岸のことを「秋彼岸」と呼び、単に「彼岸」といえば春の彼岸を指す、というふうにして、二つは区別されてきました。

個人的な感傷では、秋の夕暮れにさす西日の寂光めく朱色などが、西方浄土を思わせるようで、より「彼岸」感がある気がするのに、なんで春メインなんだろう、というふうに長い間思ってきたわけですが、それを覆すかの感慨を、今回の姫路への帰省にて覚えつつあります(1)

今日も今日とて、愛犬の散歩に故郷の路地へそぞろ歩いてきました。はじめは明るかったんですが、やはり春の日暮れは思う以上に早いようでして、歩くうちに外はどんと暗くなり、思い出したかのように寒さが押し寄せてきたんですね。

そんな折、近所の公園を歩いてたんですけど、入り口のところに電話ボックスが立っています。

そこで、僕は、思わず、携帯のシャッターを、切ってしまったのです。

彼岸の公園_convert_20170319211847

というのも、見えにくいかもしれませんが、この角度から見た、公園の入り口に佇む電話ボックスの、この風景。いや、正確には少しこれより背が低い位置と角度から見た風景なんですけど、とにもかくにも、この風景。今日、僕はこの、何度も見たはずの、この風景を見て、とんでもなく、不穏な既視感に、心を凍らせました。

いや、何度も見たことあるなら、既視感とは言わないじゃないか、と言われるかもしれませんが、そういうことではないんです。何というか、違和感にも近いといえばいいんでしょうか、そんな風景のように感じましたし、「見た」というのも、そういうことではないんです。

それは、この風景が僕にとって、曖昧なでありつつ、容易ならざる意味を持っているように思われる、そんな事情があるからなんです。

僕は、幼い日のことを思い出そうとするとき、様々な記憶のうちの一つで、この風景をよく思い出すのです。そこで、何か特別なことがあったわけでも、誰かといたわけでもないにもかかわらず…というよりも、そんなことなどは覚えてないにもかかわらず、といったほうがいいでしょうか…とりあえず、そんな、とりとめもないはずの、しかも幾度も見たことのあるはずの風景が、理由もなく、嫌に脳裏にこびりついて離れようとしないのです。そうして、昔について何かを顧みようとするごとに浮かび上がっては、僕を不安にさせ、しかも、その場所を通るたびごとに、嫌な既視感を僕に呼び起こす、といったことを、実は繰り返してきたのです。

これらは、昔を顧みる余裕もないほどに忙しくなった、受験期や大学1年次などでは、息を潜めていたように感じます。

であるにもかかわらず…というより、だからこそ、なのかもしれませんが…今日、久々に公園に立ち寄ってみると、今までには全く味わったことのないような既視感、言いようもないほどの不安に襲われたのです。

そのとき、僕は無意識のうちに、今日がまさしく春のお彼岸であったことに気がつき、嫌にそれが気になり、そんな自分に対して気がふれたのではないかと意識されたとき、不意に、その電話ボックスの影に目をやりました。そのとき、こう考えてしまったのです。

先祖に感謝し、自身の極楽浄土も願う行事とされる、お彼岸。
寒さと暑さの切り替わるとされる、お彼岸。

そんな輪廻の始動する季節の暗さの中で、(1)
生命を艱難というメビウスの輪に打ち棄てる季節の余寒の中で、
この風景によって、人生で初めてともいいうるほどのデジャヴュに襲われたということ。

何か警句めいているとまで言い得るかのような、背筋を寒くせしめるほどの、彼岸にて襲われた、このデジャヴュ。今まで感じてきた、この風景の記憶や感慨や既視感は、すべてこの日のこの散歩のこの時間のこの時の感覚のために在ったのではないかと思われるほどの、彼岸にて私を襲った、このデジャヴュ。

何なんだろう、との疑問の答えを感じる間も無く、我が愛犬の足取りに引かれて立ち去りましたが、心はいつまでも惹かれたままでした。

こんなにも、判然としないままの感慨や思惟を、それでも、文字にせねば気が済まぬと思われて、こうやって今タイプしています。

もしかしたら、この時、僕は彼岸から手ぐすねを引かれていて、それに対して無意識が警句を発したということなのかもしれません。それか、もしくは、僕がすでに、昔のとある時期に、この風景を前にして、人ならざるものに憑かれてしまっていて、その惨憺たる記憶はもう消えてしまっているか消されてしまっているけれども、体だけがその記憶を覚えていて、恐怖を覚えたということかもしれません。

答えはいくら考えても出ませんが、いずれにせよ、或る一線が揺れ動く季節なのです。
みなさまにおかれましては、くれぐれも、憑かれてしまわぬように。
日々、気をつけてお過ごしください。

最後に、こんな一句をご用意。

彼岸なる路地の暗闇 真っ暗闇
季語:彼岸

以前までのような技巧的に何かを感じるようにというのではなく、唯々死の象徴だけを目一杯込めた、そんな気味の悪い一句にしてみました。いかがだったでしょうか。

拍手、コメント等頂戴できれば幸いですー


(1)「一觴一詠4〜蠢動という葬送曲」「一觴一詠6〜春濤の六回忌」を参照されたし


句作に関して、未だに推敲が足りないように思えては、いちいち悩んでいます。もう、こうなっては、ここで推敲中の句をここに吐き出して、みなさんの意見を伺えればと思います。

彼岸なる路地の黒猫たそがれて
彼岸なる路地の黒猫くちゃくちゃと
カラス笑む 路地たそがれて彼岸入り


いかがでしょうか
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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
ジャンル : 学問・文化・芸術

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わかるで、そのニュアンスの既視感。曖昧な記憶の中で特段印象的な思い出もないのに時々訪れるデジャブのような感覚な。でもまあそんな些細な出来事にここまでの解説入れられる君に感心したわ笑
Thank you!
プロフィール

タカマティー

Author:タカマティー
日本語を愛し、詩歌を愛し、戦後保守主義主流を志向しつつ、たまにリベラルに身をやつして腐敗した権力を批判することもあるような、そんな大学生のブログです。

穏やかなる播磨の灘の凪を母とし、猛き鷺城を支配するかのごとき桜並木を父として、18年間を彼の地に過ごしたのち、メトロポリスTOKIOへやってまいりました。

本ブログは、日々のよしなしごとを書き散らし、ほどほどの厭世気分を吐き出していく場として活用する所存です。よって、おそらく掃き溜めのごとき文字列を、皆様にはご提供することでしょう。皆様におかれましては、御自力で、その中に鶴をみつけてくださればと思います。

「白玉楼中の人となる」
:文人が鬼籍に入ること。
 cf. 「司馬遼太郎は本物の文人であった。彼は、白玉楼中の人となったに違いない。」

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