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一觴一詠13〜「花」の季節

ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(紀友則)

人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける(紀貫之)

吉祥寺の桜これは吉祥寺にて先日撮影した桜です。


お久しぶりでございます。大学生に許された寛かなる春の猶予期間も終わりを告げ、新年度の忙しさにかまけて更新を怠っておりました。とはいえ、再び学業が忙しくなればなるほど、物思いやら愁えやらは自身の器に溜まっていくばかり。なんとも、バランスのとりにくい世の中でございます。

さて、昨今、各メディアで目にする日本文化についての宣伝に、「日本の伝統的感性」「日本人としての美意識」などという言葉をよく耳にします。桜という花に関して、春の風景に関して、特にそういう話を聞くことが多いように感じます。

高校の古文の授業では、「花といえば、古文においては桜のことを指します!」などと教わります。それでなくとも、日本人は、日本にある「美しい四季」を象徴するかのような「桜」のイメージを、頑なに保持しているようです。

なんともばかばかしいように聞こえてなりません。そもそも、詩歌の世界において、日本で「花=桜」というような言葉の使い方が見られたのは、国風文化の影響以降です。少なくとも、万葉集の時代には「花=梅」だったのです。

ここでは、「古来より日本人は……」という言説の多分なる思想性と非現実性を、みなさんにご理解してもらうことと致しましょう。

上に提示しておいた二首は、花を詠んだ歌として非常に有名なものですが、これが、非常に僕の抱ける違和感を示してくれています。

この二首を詠んだ、紀友則と紀貫之は、両者とも古今和歌集の選者として勅撰された、当時随一の歌人であり、しかも従兄弟同士であるという、同時代人でした。この、同時代の一流歌人が詠んだ花の歌ですが、実は、これ、「ひさかたの〜」は「花=桜」なのに対し、「人はいさ〜」は「花=梅」なんですね。同時代的に、この用法にはブレがあるわけです。日本人の伝統的感性に、あの紀貫之が反しているとでも言うのでしょうか。そんなわけがありませんよね。考えられるのは、一概に「花=桜」とは言えないということのみです。

さらに、現在の日本で鑑賞されている桜の大部分はソメイヨシノですが、これは江戸末期に品種改良により生み出され、明治以降に日本中に植樹されて急速に広まったため、その経緯は相当に人為的と言えます。特にソメイヨシノは、自分では繁殖できない様にされてしまっており、完全にその生命を人間に委ねている存在です。自然の象徴、式の省庁などとは程遠く、自然の摂理たる輪廻から完全に踏み外した、全くもって「人工的」な存在であるというほかありません。

別にここで、僕は桜の価値を否定しようとしているわけではありません。国風文化以降、桜のプレゼンスは確かに上昇していき、嵯峨天皇や西行法師、豊臣秀吉にも愛された、歴々たる文化を持つ花であることは確かです。現在の詩歌の世界では、「花=桜」として扱うことが多いのも事実ではあります。

ここで指摘したいのは、先ほど申し上げた「日本人の伝統的感性」などというものが、歴史の中で変遷を辿ってきた、可変的、可塑的な概念でしかないにもかかわらず、それを維持されるべき精神であるとして推戴すべきであるといった観念は、歴史的な必然でない上に、相当に人工的なものであり、思想としては非常に危ういということです。

明治新政府が、近代国家を目指して近代学校制度を整備し、規律化し、訓練する権力となって子どもを対象化した時代、学校には桜の木(ソメイヨシノ)が植えられていきました。大部分の日本人は、学校の校庭に桜が植わっていて、その花びらの舞うのを見たことでしょう。近代主権国家には、国家成立の三要件として「人口(国民)」「国境」「主権(政府)」が定義されています。この定義を満たすべく、国家は国民意識というものを形成して行かざるを得なかった。これは、時代としては仕方のないことだったように思います。

しかし、それを対象化する、つまり客観的に認識することは、人間の知性として可能であるべきであるとも思います。少なくとも、愛国心のかけらのような言葉を弄して、こうした客観化を阻むことは、知性の否定、すなわち人間の否定であるように私は思います。

花時の雨に散りゆく花びらに、憂国の感を懐く、3限の授業の窓でございました。


さて、ここで久々の俳句でございます。上でつらつらと桜を貶めるかのように取られかねない発言を繰り出しておきながら、その実、桜の鑑賞は僕も大好きでして、その桜の風景を題材にした俳句を二つほど。

講堂の闇へ愁ひの春ひとひら
季語:愁ひの春(春愁)

自転車のかごに咲く花時の雨
季語:花時の雨

俳句や私見に対して、何かご意見ありましたらば、喜んで頂戴いたしますので、教えてくださいますれば幸いです。また、気温変化の激しい季節ですので、ゆめゆめ、お身体を崩されませぬよう、お祈り申し上げる次第でございます。
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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
ジャンル : 学問・文化・芸術

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偶然にもこの前友人に「桜見て『春が来たな』って言うのが最近短絡的に思えて仕方ないんだが」と言ったところ「お前はどこまでも捻くれた奴だな」と一蹴されました。
Thank you!
プロフィール

タカマティー

Author:タカマティー
日本語を愛し、詩歌を愛し、戦後保守主義主流を志向しつつ、たまにリベラルに身をやつして腐敗した権力を批判することもあるような、そんな大学生のブログです。

穏やかなる播磨の灘の凪を母とし、猛き鷺城を支配するかのごとき桜並木を父として、18年間を彼の地に過ごしたのち、メトロポリスTOKIOへやってまいりました。

本ブログは、日々のよしなしごとを書き散らし、ほどほどの厭世気分を吐き出していく場として活用する所存です。よって、おそらく掃き溜めのごとき文字列を、皆様にはご提供することでしょう。皆様におかれましては、御自力で、その中に鶴をみつけてくださればと思います。

「白玉楼中の人となる」
:文人が鬼籍に入ること。
 cf. 「司馬遼太郎は本物の文人であった。彼は、白玉楼中の人となったに違いない。」

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