彼岸明迄あと幾時

保育所の裏口 彼岸花の影
季語:彼岸花

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3ヶ月ぶりの更新です。

彼岸の明けるまで、残り何時間というところでの投稿となりました。
もしかすると、見てくださっている方の中には、もう彼岸の明けた頃に開いてくださっているやもしれません。

さて、春のお彼岸の頃にも更新(彼岸というデジャヴュを参照)をしたのですが、今回は秋彼岸ということで、彼岸花を季語にとった一句にございます。単に俳句で「彼岸」といえば春のお彼岸を指すことは、上に挙げた記事でも言及したことではありますが、「彼岸花」というと、これは一転、秋の季語となるのですね。このあたり、昔の日本人の感覚のよく残っている部分と言えます。私としては非常に趣深い語法であろうと思うのですが、大概の人には丁度まさに俳句の敷居を高くし面倒なもののようにしている典型とでも映るのでしょうかね、なんとも寂しいものですが。

さて、この彼岸花ではありますが、ネットで画像を検索してくださってもいいのですけれど、とにもかくにも異様なほどまでに妖しい花を咲かせます。こういったものが、土手や墓地などに、しかも大概は群生しています。


なんと面妖なことでも起こしそうな、そんな花ではありませんか。

同様に、辞書でもネットでも調べればすぐに見つかるでしょうが、彼岸花には様々な別名があるそうですね。

その中に、「捨子花」というものがあるようで。

「捨子花」などという名を持つ花が、水辺の近くの土手や墓地などに群生をしているというのは、なかなか示唆的なものを感じます。


秋のという季節は、収穫をもたらす季節ですし、お祭りも各地で賑やかな印象のある季節です。一年のうちでも相当に過ごしやすい季節ですし、紅葉をはじめとして、種々の耽美な景勝は我々を魅せる、そんな季節です。

しかし、
冬という季節に向けて、一部の植物たちは命を涸らす準備をします。
冬という季節に向けて、一部の動物たちは命の準備へと仕向けられていきます。
そうしない生き物たちにも、冬は平等に訪れ、平等に命を賭けさせる、そういう季節としての冬が近づきが、遠くの山から、向こうの草むらから、すぐ足元から、五感をもって感じられる季節、それが秋というものです。

私は毎年、夜の涼しさに夏の終わりを感じます。
輪廻の質量の爆発的に増幅した春。
メビウスの輪を大数が廻りゆく音すら聞こえてくるような喧騒の夏。
そして、秋。

保育所の裏口にも、秋が来た。
捨子花もとい彼岸花は咲く。
その影には、一体何があるのだろうか。
その影には、何があったのだろうか。
その影には、これから何があろうとするのだろうか。

彼岸は今年も明けてゆく。

保育所の裏口 彼岸花の影
季語:彼岸花
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