広島に寄せて

群衆の迸り ヒロシマの辱暑
(ぐんしゅうのたばしり ひろしまのじょくしょ)
季語:辱暑


「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のノーベル平和賞受賞や、広島カープのセ・リーグ連覇など、ここ最近の大きなニューストピックの中心に二度も登場した、「広島」。

今回はその「広島」への、粛然たる挨拶句でございます。

基本的には、群衆の迸りが辱暑と呼応するような、暑苦しいくらいに活き活きとした広島の人々の夏を描いた句です。

しかし「ヒロシマ」とカタカナ表記にしたからには、それだけではなくて、日本人なら否応なくその精神世界に思い起こすであろう、あのピカドンを描きたかったのも間違いありません。

とすれば、「群衆の迸り」「辱暑」というのが、八月六日に全き塵埃と帰せられども猶そこから起ち上がり、再び大都市へ復活させたという、人々のエネルギーを表現しているのではないかと、そういう詠みがまず考えられるでしょう。となれば、これはまさに復活の賛歌であると、考えられるかもしれません。

一方で、昭和二十年八月六日の朝、あの瞬間に、まさに群衆が、文字どおり「迸」ってしまったという風景を描こうとした句ではないかと、そう詠みとる人もいるかもしれません。まさにあの瞬間、人々がピカドンにより「迸り」、「広島」は瞬時に「ヒロシマ」と化した、その瞬間が、現代の「広島」の辱暑によって不意に思い起こされたと、そんな感覚を詠みとる方も、おられるかもしれません。

詠みに関しては、しかしながら、みなさんが最初に詠んだときの直観にお任せします。私が上に挙げた複数の詠みの、どれとも異なる詠みがあったとすれば、それは私の認識の外の観念ですから、非常に興味深く、ワクワクします。

こんな詠みもあるのではないか、というご意見、ご感想がありますれば、ぜひコメントに宜しくお願い致します。

群衆の迸り ヒロシマの辱暑
(ぐんしゅうのたばしり ひろしまのじょくしょ)
季語:辱暑

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<追記>

広島への挨拶句であるならば、カープのリーグ優勝への手向けとして、こんな句にしても良かったのかもしれないですね。

空をゆく白球 ヒロシマの溽暑
季語:溽暑

野球を描くのであれば、汗の感じが強調できるように、「辱」ではなく、さんずいへんの「溽」の字の方が見た目がいいかもしれませんね。ということで、季語の漢字表記も変えています。

いかがでしょうかね。
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