公示日

いよいよ、本日10日に衆議院議員選挙が公示を迎えます。特に今回は、野党再編がまた急速に進んだだけではなく、18歳選挙権の制度のもとでの初の衆院選となります。<衆院選>若者層は保守的? 内閣・自民支持多く…世論調査(2017年10月10日閲覧)によれば、若い層は景気対策を重視するため、積極財政を現状進めている安倍政権を支持する割合が多いようですが、選挙結果にいかなる影響を与えるのでしょうね。

かく言う私も、住民票が未だに兵庫県姫路市に残っていますが、不在者投票をする予定です。投票の匿名性を確保するために、当然誰に / どの政党に投票するか、などは申し上げられませんが…

さて、ここで唐突に、読者のみなさんに問題です。

Q. 「一票の格差」の是正のため、衆議院議員の定数は削減され続けていますが、現在の衆議院議員定数は、何議席でしょうか?

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*イメージ図

A. 正解は、465議席です。

みなさんの中で正解した方は、どれほどいらしたでしょうね。

そういった選挙についての教育は、従来は社会科や公民科において学ばれてきました。しかし、投票率の低下や政治への無関心、あるいは自分が選挙に行ってもしょうがないという無力感が、問題視される中で、子どもたちを将来の市民として或いは主権者として教育を行う取り組みが、ヨーロッパを中心に急速に普及しつつあります。これを「主権者教育」あるいは「シティズンシップ教育」と言います。将来社会を担う有権者として必要な政治的教養を身につけるための教育であり、具体的には、選挙制度やその歴史の学習、マニフェストの内容による政党の比較などが行われます。これが、日本でも最近、文科省や総務省によって推進されるようになりつつあります。

さて、ここで、18歳有権者と主権者教育を巡って、このようなニュースがあったことを皆さんご存知でしょうか。

「18歳投票率高い、何か特別な取り組み?」 警察、高校に問い合わせ 神奈川で参院選後 指導内容にも言及か
(2017年10月10日閲覧)

以下、上記記事より引用


『18歳選挙権が戦後初めて実施された7月の参院選挙をめぐり、神奈川県警が横浜市青葉区内の県立高3校に電話をし、高い投票率について問い合わせていたことが19日までに分かりました。
教員ら「不当介入」と批判
 市民からの訴えをうけて県警にただした日本共産党の大山奈々子県議によると、県警は事実を認めました。選挙後の7月15日、青葉署生活安全課の署員が「18歳の投票率が高いが、何か特別な取り組みはしたのか」と問い合わせたといいます。
 本紙の取材に県教育委員会も高校に問い合わせがあったことを認めましたが、「県警とは日頃から生徒の健全育成のために連携している。その一環であり問題ない。(県警への中止要請も)しない」としました。
 県警はさらに、教員の指導内容にも言及した疑いもあります。
 ある県立高校の教員によると、青葉署は「政治的中立性」について生徒へどのように指導したかについても尋ねたといいます。
 教員は「前代未聞。現場からは批判とともに不安の声もあがっている。明らかに一線を越えた不当な教育への介入です。こうした越権行為に対し、県教委に自覚がないのがさらに恐ろしい」と話します。』


しんぶん赤旗という日本共産党の機関紙から引用した情報なので信用ならないと仰る方もいらっしゃるでしょうから、ニュートラルなサイトで掲載されているところがないかと探すと、神奈川新聞にも以下の記事がありました。

18歳投票率問い合わせ 市民団体、県教委と県警に公開質問状提出
(2017年10月10日閲覧)

他にも、まさかの7割超え!「18歳投票率が高過ぎる」と話題になった神崎町ってどこ?(2017年10月10日閲覧)においても冒頭にて触れられています。私が通う某国立大学教育学部の教授も授業で言及されていました。教育業界においては一定の衝撃を与えたニュースではあったようです。

さて、このニュースについて、少し考えてみましょうか。

まず、「高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について」という平成27年の文科省通知において、高校生の政治的活動は、その制限はあくまでも必要かつ合理的な範囲のものに止まるべきだという教育の方向が示されました。これは、学生運動の激化を受けて発された、昭和44年の「高等学校における政治的教養と政治的活動について」という通知が、18歳選挙権という大改革によって、改められたものです。選挙制度が高校生を包摂した以上、学校生活を著しく阻害しない限りにおいては、その政治的活動を制限することは、彼らの全き参政権、選挙権を侵害することになるため、そのように改めることは当然の措置だったと言えるでしょう。

その上で、神奈川県というのは、前知事時代から10年以上に渡って、つまり18歳選挙権の改革以前から、主権者教育に力を入れていました。具体的には、国政選挙のたびに、選挙の制度をやその歴史を学んだ上で、各政党の主義・主張・政策目標などを多角的に各々で分析し、最終的に模擬投票を行うというような学習を過去10年間積み重ねてきたわけです。

したがって、前述のニュースが衝撃的だったのは、主権者教育は文科省が通知によって認めているものであり、 その主権者教育を長きに渡って蓄積してきた神奈川県の高校において、高い投票率が実現されたということは、主権者教育の好例として評価すらされ得るはずであるにもかかわらず、高投票率を誇ったということのみをもって、警察による調査が行われてしまった、という理由からでしょう。

ここで念のため言っておくと、教育の名を借りて、生徒たちを特定の思想に染めようとすることは、当然あってはならないことです。これは主権者教育においても大前提です。子どもに対する教員の立場上の優位は、そうした精神面に対しては、やはり未だに大きいと言えるでしょうから。よって、子どもに多角的な視点と考えを持たせるような教育が当然望まれ、あらゆる政治的主張を押し付けることは、許してはいけません。(政治的中立性と一般に呼ばれます。これは、教員の思想の左右の偏りが問題なのではなく、保守本流や中道左派などの穏健な考えであっても、あらゆる思想を押し付けることを禁ずるものです。)

しかしながら、「政治的中立性」を教員に過度に求め続け、むしろ教育を「非政治的」なものにしてしまうことは、上記の文科省通知の趣旨には明らかに相反しています。投票率の低下、若者の政治への無関心/無力感を和らげねばならないという長年の課題を、解決することができるかもしれない重大な機会を、有権者を育てるための教育機会を、喪失させてしまうことにもなるでしょう。明らかに無益だと言えます。

にもかかわらず、例えば北海道では、学校側が挑戦的な主権者教育を行おうとしたときに、教育委員会の強い反対にあって断念したということがあったと聞きます。神奈川県では、教育委員会は伝統的に主権者教育に積極的に推進していたものの、今回の選挙を受けて警察が介入してしまいました。

こうした過程をもって、主権者教育に対し萎縮し抑制的になってしまっては、元も子もありません。日本の根幹を真に成すための民主主義を形作る、そのような教育が待たれていることは言うまでもなく、これが学校側の自粛ムードによって押さえつけられては、何のための18歳選挙権か全くわかりません。

そ も そ も、

権力の方がこういうことにむしろ抑制的にならねばならない、というのが市民としての常識ですが、これがあまりに一般的に欠けているのです。本来は、もっと大問題として報道されていいはずのことが、一部の人々しか問題視せず、しかも問題視すると「サヨク」であると認定されるのは、先進国の中で考えれば極めて異常なことなのです。

人々と国家(権力)との間の関係は、綱引きに例えられることがあります。たえず、自分たちになるべき有利になるように、人々と国家との間で、様々な綱引きを行う。その中で、国家が人々を裏切って優位に立とうとする可能性は、常に存在している。この裏切りの可能性をちゃんと認識していない人が日本にどれだけ多いことか。

水槽の中、バリアの認知にて触れたこととも関連しますが、そうした裏切りの可能性というのは、社会契約思想という、人権思想や国家観の核となる思想として現代でも通用する見識に照らせば、全く当然なわけです。

主権者教育を抑制し教育を非政治的にしてしまうと、こうした見識は一般からは奪われていきます。そうすれば、綱引きにおける国家側の優位が強まり、教育の非政治化を更に強固にして、ますます不可能にしていく、というスパイラルすら生まれかねません。おかげで人々は秩序立った中で気づかぬうちに弱く貧しくなっていく、国家の統治は安定し既得権益層は守られる。なんと麗しきディストピア、素晴らしい国じゃないか、全く。

昨年、18歳選挙権を受けて主権者教育を行おうとしたところ、現場で授業を受ける子どもたちから、こんな声が聞こえたと言います。

「大人だってまともに選挙に向き合ってないじゃないか。なんで俺たち/私たちだけがこんな授業を受けなきゃいけないだよ。」
「俺たち/私たちだけにそんなのやったってしょうがないだろ、押し付けんなよ。」

非常に耳に痛い言葉だと、大人のみなさんは思いませんか。

主権者教育は、子どもに対する「押しつけ」だと思われているのです。

様々な国難を招いた原因を作ったはずの大人が、自分たちは選挙に対してあまり真面目には向き合わないくせに、自分たちには「良い有権者になれよ」と押し付けてくる、と思われてしまっているのです。

あまりに情けない話でしょう。

特に、衆議院議員定数は、学校の教科書には当然載っていますが、ニュースでしっかり見ない限り、正確な数は大人でもなかなかちゃんと答えられないかもしれません。いま、言及した社会契約思想も、知らない大人が大半でしょうね。

まず、知るところから。
まず、学ぶところから。
まず、考えることから。

「学習」は、生きることそのものの根幹をなす営為です。
「学ぶこと」は、存在論的に有価値な営為です。

選挙まであと2週間。
みんなで学びませんか。
かくいう私も。



<参照>
『課題研究1「教育の政治的中立」と政治教育・主権者教育』(教育学研究. Vol. 84 (2017) No. 1 p. 49-54)
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