ゴミ出しの詩

ゴミ出しの足もと青し水の秋
季語:水の秋

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こう雨が続かれては障りがいろいろと出るものですね。

そもそも秋というのは「晴れ」のイメージが多いものの、日照時間は四季のうちで意外と少ない方だと聞きました。てことは、「スポーツの秋」ってのは、あれは1964年の東京五輪の開会式が10月10日だったことにあやかっただけのキャッチフレーズであって、あとは然程根拠はない、ということなんでしょうか。それはそれで、風流心が削がれるようで、なかなかなものですが…

そんな東京五輪を境として、東京を起点として、徐々に日本の街頭からは家の横に常設されていた木製のゴミ箱がなくなりました。ゴミはポリバケツのようなものに入れておいて、決まった曜日にゴミ収集車に運んでもらうものとなり、ゴミの存在は日常の裏側に隠れるようになりました。それがいいのやら悪いのやら、なかなか判断はつきかねますがね。

さて、この霖のため、俳句も雨の風景を詠むものが続いておりましたが、今回はさすがに、早く雨が上がるようにとの希望を込めて、雨後の風景としてみました。

意味としては、『ゴミ出しの朝、足もとの水たまりが「青い」のを見て、こんな所の水も澄んでいるのかということに秋を感じた』というような句ですね。「青い」というのは、水が澄むことの色覚的な描写と読んでもいいですけれど、秋の美しい空が映り込んで青く見えている、という風に解釈しても、綺麗だろうかと思います。

ここにおいて、作る際に頭を抱えたのは、やはり表現と、あとはリズムの問題でした。「朝」や「水たまり」や「空」などと言った言葉を、俳句の中には一切使っていないのに、「ゴミを出す」という情報を入れることは、少々拙速だったかもしれない。また、「青し」の終止形ではなく、「青き」と連体形にすれば、「青き」「秋」の「き」の音が、小気味の良いリズムを取ってくれるのではないだろうか、と。

ただ、ゴミ出しをした時に秋を感じるとした方が、実感として、経験として迫る感じもあり、それが瑞々しさを生むのかもしれないと思ったので、敢えてそのまま残しました。また、「青し」を採用したのは、すでに「足もと」「青き」「秋」の「あ」の音で韻は踏んでいるのだから、これ以上意図的に踏もうとしなくてもいいだろうと思い直したのと、句切れの全くない状態でダラダラと最後まで流れるのがどうしても嫌だったので、やはり、どこかで切りたかったからです。

いかがでしょうか…

何かしら、アドバイス等頂戴できれば幸いです。

ゴミ出しの足もと青し水の秋
季語:水の秋



<追記>

本文にて、「青し」について推敲したと書きました。そのあともしばらく考えていたのですが、よくよく思い直してみて、「青し」にすれば、「ゴミ出し」「足」「青し」の「し」の音で韻も踏むことができるようになることに気づきました。ですので、「青し」のままにして良かったのだろうと、個人的には今は納得しています。

ただ、そうだとしても「朝」や「水たまり」や「空」の情報が一切かけていることは気になり、やはり賭けに出過ぎているのではないかとも思ったので、こんなふうなのも考えてみました。

雨後の朝あしもと青き水の秋
季語:水の秋

こうすれば、「朝」「あしもと」「青き」「秋」と全体として「あ」の韻を踏むことができ、「青き」「秋」の「き」の韻も捨てずに済みますから。また、「雨」という情報が入れば、「あしもと青き」が水たまりのことだとも、少々はわかりやすくなるでしょうからね。

ただ、こうすると「ゴミ」と「青」の対比が失われてしまうので、考えものですけれどね…
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2 Comments

獅子鮟鱇  

欣賞佳作

ゴミと清らかな青の対比がとても効いていますね。
佳句。
水の地球にゴミをまき散らす人間
そんなことも思いました。

2017/11/05 (Sun) 07:21 | EDIT | REPLY |   

タカマティー  

Re: 欣賞佳作

> ゴミと清らかな青の対比がとても効いていますね。
> 佳句。
> 水の地球にゴミをまき散らす人間
> そんなことも思いました。

なるほど、その読みは完全な盲点でした。
ご高察、感服いたします。

何より、貴重なコメントをありがとうございます。

2017/11/05 (Sun) 13:52 | REPLY |   

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