颱風禍

轢断の猫の前あし野分晴
季語:野分晴

側溝の野猫のむくろ野分晴
季語:野分晴

まさしく颱風禍の真っ只中でありますが、俳句でございます。
しかも、今回はなかなかに悲惨な俳句でございます。

野分、すなわち秋の暴風雨のことですが、これが過ぎ去ると、からりとした青空が訪れるのはよくご存知のことと思います。これを表す季語の一つに、「野分後」や「野分晴」というのがあるのですね。

内容としては、野良猫が吹きすさぶ雨風の中でトラック等に轢かれてしまい、その遺骸が流れつつも人間の生活空間に留まったところで、台風一過の青空となったという光景を読んだものです。

「野分後」の方が上五・中七の雰囲気の惨憺とした雰囲気をよく共有しているとは思いはしたのですが、今回については、「野分晴」という割と明るめの季語を選んだ方が、大きなギャップが句の中で生まれて、悲愴が全体としてより滲むようになると思われましたので、「野分晴」にて句を締めました。

荒び散らばった濡れ落ち葉。倒れたままの放置自転車。
誰のものとも知れないビニール傘。

台風一過の青空のもと、生類は明るく気が晴れていきますが、一方の日陰には、野分中の姿のまま放置されたものもあるでしょう。そこだけは、颱風禍の世界に捨て置かれたままになっています。その颱風禍の世界の持続する姿は、台風一過の明るさの中で、むしろ異様に、不自然にひかり、我々の目に届くものでございます。

季語以外の推敲のときに非常に悩んだのは、上の句の「轢断の」という語についてです。「轢断の」というのは、あくまで筆者が見ていないところで「轢かれて千切れちゃったんだろう」と推測した内容であって見たままの光景描写ではないので、もっと適切な語がないかと検討しては見たのですが、「轢断」という言葉のもたらすイメージ・インパクトは侮れず、それを満たすような表現も探しきれませんでした。

よって、「轢断」という言葉の持つインパクトを表現するために、下の句のように、「むくろ」としか言い表せないくらいに嵐で無茶苦茶になった死体が、「側溝」という暗くて汚い場所にあるという描写に変えてみました。ただし、こうすると次は「前あし」という焦点の絞れた描写が失われるので、どうなのでしょうか。

結局のところ、どちらの方が好きなのかという、個人の好みに任せることになるのかもしれませんが、いかがでしょうか。ご意見、ご感想等ありましたら、コメントに宜しくお願い申し上げます。

最後に、悲惨な内容について不快に思われた方に対し、心よりお詫び申し上げます。
申し訳ございません。

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轢断の猫の前あし野分晴
季語:野分晴

側溝の野猫のむくろ野分晴
季語:野分晴
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