心の時空

蟷螂は入水す 掻き曇る病棟
季語:蟷螂

ハリガネムシという寄生虫の名は、誰しもがご存知でしょう。

ハリガネムシの生態についてふと調べたところ、なんと『成虫になったハリガネムシは宿主の脳にある種のタンパク質を注入し、宿主を操作して水に飛び込ませ、宿主の尻から脱出する』のだそうです。そういえば子どもの頃、遊びでお腹の膨らんだカマキリのお尻を水につけると、ハリガネムシが飛び出した記憶がありますが、ハリガネムシは蟷螂などの宿主の脳を操作して入水させ、自らは水中生活を続けるんですって。

自然淘汰の生み出した生態の叡智とも言えるかもしれませんが、感心するより先に背筋に冷たいものが走ります。

さて、今回の俳句はそうした光景を詠もうと…と自句自解に入る前に、私が敬愛する画家・古賀春江(1895−1933)が、自身の娘の死産をきっかけとして完成させた作品である『埋葬』(1922)を、じっくりとご覧くださればと思います。

埋葬_古賀春江
古賀春江「埋葬」

いかがでしょうか。これはこれで、ゾッとしますでしょう。

彼は、精神に異常をきたす中で創作を続けた画家でした。意欲的に画業に取り組めば精神状態は不安定になりますし、若い頃にはご多分に漏れず自殺未遂を引き起こし、躁鬱で創作にあたるような有様ではありましたが、それでも当時には珍しく、生前から一定の評価を受けた作家であり、現代においては、日本における初期シュルレアリスムの代表的な画家であると認められています。

戦前日本の狂騒のもとで神経衰弱を起こした作家・芸術家よろしく、遺した作品群はどれも実に素晴らしいものです。『心の時空』『煙火』『素朴な月夜』『海』『窓外の化粧』『文化は人間を妨害する』『深海の情景』『サアカスの景』などもご覧になってみてください。強くお勧めします。その怪しさに誘われた途端、深淵に呑まれ気づけば堕ちていくような魅力にとりつかれることでしょう。

彼の世界観と、蟷螂の入水とは直截の関係はありませんが、同じ季節、同じ風景の中にあって、何らかの接点を感じインスピレーションを受けたことによる句作の一つの結実が、今回の俳句です。

さて、俳句について、蟷螂が入水する理由については、先に述べた通りです。あとは、この『病棟』ですが、これがどんな病棟であるかは、みなさまの想像に委ねてしまおうと思います。

サナトリウムか。
精神科の閉鎖病棟か。
あるいは、廃病棟か。

その「掻き曇る病棟」へ、一匹の蟷螂が、水辺に近づいていき、そして…




みなさまのご多幸をお祈り申し上げつつ、今回はこの辺で。

蟷螂は入水す 掻き曇る病棟
季語:蟷螂
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3 Comments

獅子鮟鱇  

欣賞佳作

玉句、とてもおもしろいです。
蟷螂入水は、病棟に居る人の夢想のように読めますが
その人が何を思っているのか、解釈はいろいろあると思います。
闘病に疲れいっそ入水したいという思い
しかし、なぜ蟷螂なのか
闘病は蟷螂当車、さしせまる車に斧を構えるカマキリ・・・
一方で斧をすてて入水するカマキリ・・・
などなどをあれこれ思います。
いずれにしても、死と病と、その裏に秘められた生をめぐって深刻。
俳句といえば 日本では 大家の作を含め
日常生活の些末な感想を楽観的に述べる句があまりに多くうんざりですが
そういうなかで玉句、読み応えがあります。佩服

2017/11/06 (Mon) 08:49 | EDIT | REPLY |   

タカマティー  

他愛とたわいなさと(Re: 欣賞佳作)

拙文などとは比べようもないコメントを頂戴しまして、恐悦至極に存じます。

貴文を機としての、俳句論についての拙考を、ここにご返信させていただきます。

句作の味わいなどは、先人たちが見出し洗練し続けてきた作法と韻律とを踏まえつつ踏み外しつつ、その言葉によって作り上げられる世界観によって云々されるものでしょうけれども、その前提には、まず初めに、伝えたい心情や光景を読者にある程度明らかな伝わる形で日本語にして伝えることが想定されているべきだと思います。その上で、叙情的表現に直截訴えずとも、叙事的・叙景的表現をもって叙情的にすら訴え得るならば、ただいま述べましたところの、伝えるという営為としては、自愛と言うよりは他愛に充ちたものであると評し得ると言えましょう、

以上のことが可能ならしめられた句作であれば、あとは読者各位がその叙事・叙景・叙情の趣を如何に感じるかにかかるわけで、その世界がたわいない日常事、些末事を取り上げて拡げていようとも、それが他愛の不十分な句作であると断ずることはできないように思います。

よって句作には、まず第一義的に他愛が求められます。この意味での「他愛のない」句というのは、これは表現としての拙さを責められて然るべきだと思います。

ただし、結果として描かれた世界観が、相当に深刻なものであるか、それとも軽々としたものなのかといった意味での「たわいなさ」は、これについての指示や不支持は、ただただ個人的好みの言明として捉えられるもののように思います。

病躯にあったり、困窮のみにあったりしてこそ、軽々とした季節ごとの感傷に、文字通り感じて胸を痛ませるというのも、想像できないわけではないでしょう。詠者の人生、詠むときの状況、或いはその思想を偲べば、涙せずには居られぬような句もあるでしょう。

いつどうなるとも分からぬ身にあってこそ、軽々とした些末事の楽観に一種の藝術を見るというのも、一つの境地であったのだろうと思います。現代の感覚に引っ張られすぎると、ただ軽々としているだけの句でも、共時的な感覚によれば十分に深刻の相を帯びることもありえるでしょう。

まァ、長々と述べましたが、端的に言えば、貴文の言は少々拙速であったのではないかと思います。

拙文をもって、何かしらの思考や感想を惹起し得たならば幸の至極にあって痛み入ります。


> 玉句、とてもおもしろいです。
> 蟷螂入水は、病棟に居る人の夢想のように読めますが
> その人が何を思っているのか、解釈はいろいろあると思います。
> 闘病に疲れいっそ入水したいという思い
> しかし、なぜ蟷螂なのか
> 闘病は蟷螂当車、さしせまる車に斧を構えるカマキリ・・・
> 一方で斧をすてて入水するカマキリ・・・
> などなどをあれこれ思います。
> いずれにしても、死と病と、その裏に秘められた生をめぐって深刻。
> 俳句といえば 日本では 大家の作を含め
> 日常生活の些末な感想を楽観的に述べる句があまりに多くうんざりですが
> そういうなかで玉句、読み応えがあります。佩服

2017/11/09 (Thu) 20:02 | REPLY |   

獅子鮟鱇  

 小生の感想に丁寧にお答えいただきありがとうございます。
>貴文の言は少々拙速であったのではないか
 世の中つまらない俳句が多い
 というのは俳句の一読者として小生が日頃思っていることです。
 拙速というより、小生の管見とお考えください。
 お答えいただくのにお手数をおかけし恐縮です。獅子鮟鱇叩頭。

2017/11/11 (Sat) 22:52 | EDIT | REPLY |   

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