夜学

ひらがなの案内ひかる夜学かな
季語:夜学

立冬を明日に控え、今日が「晩秋」「暮の秋」と詠み得る今年最後の一日となるのを知るかに、朝夕や日陰の「冷ややか」は、この「冷ややか」が秋の季語であるにもかかわらず、むしろ冬めいてきたように感ぜられます。

ここ最近は、まさしくこの季節の変わり目に相応しいように、秋の句と冬の句を交互に投稿したり、あるいは両方とものせるなどしてきましたが、秋の句を中心とした投稿は、本投稿が今年最後となるでしょう。

今回は秋の季語「夜学」についての俳句。

夜学というのは、昼間に働いている人々に向けて開校される夜間学校の総称です。そうした学校に通うのは、一度就職したものの、資格など新たな能力を身につけてスキルアップしたいという人や、あるいは外国人労働者などが多いでしょうから、彼らのニーズに合わせ、実業や語学を学ぶことができる学校が多いように思います。

その中で、ひときわ希望と困難さとが入り混じるような、文字通りの異彩を放つのは、夜間中学だと私は思います。大抵は、義務教育年度はさすがに終えているものですが、その義務教育をろくに受けることができなかった人に対する最低限の保障として、夜間中学は設けられています。山田洋次監督の「学校」(西田敏行主演)という映画で20年ほど前に注目を浴びる前までは、あまり目立たない日陰の存在でした。

映画「学校」が放映された当時は、働き盛りの大人の中にも、戦前・戦時の貧困に生まれたために幼少から労働を強いられたり、「女の子に勉強など」という価値観を持つ親が少々残っていて行かせてもらえなかったりした人がいて、そうした人々が中心的な対象でした。そうした人々は現在も残っていますが、彼らは高齢化し少数になってきていて、他には外国人労働者や、通常の小中学校などでいじめを受けて不登校となり、ろくに学校で学べないまま大人になった人など、多様性が増しています。

彼らの中にも、どの段階で学校に行けなくなったのか、行かなくなったかによって、学力差は歴然としています。そうすると当然クラス編成は習熟度別になるわけですが、その中には、当然、ひらがなやカタカナの読み書きに難のある人もいます。漢字を読むことのできる人など尚更、少数です。場合によっては、自分の名前休んでいる場所、家族の名前などを、ひらがなですら書けないことがあります。

彼らはもちろん、望んでそうなったわけではなく、そうならざるを得ない状況に置かれてしまったことで、容易には取り戻せないような不都合を強いられてしまったわけで、そうした一種の社会的病理の犠牲となってしまった人に対して、その病理について意図しようがしまいが関係なく、国が学習を保証することは、様々な思想や概念に照らしても当然だと言えるでしょう。

話が逸れました。俳句です。

そうした夜間中学では、当然案内表示の多くはひらがなで書かれ、漢字にも大体はふりがながふってあります。そのふりがなというのは、そこにいらっしゃる人々の困難さを端的に示すものではあるけれども、その場所に通う人々の一種の希望がそうさせているという意図を込めて、「ひかる」としてみました。

ご意見ありましたらコメントにてお待ちしています。

今秋、最後の俳句となりました。
来たる冬にも恙くお過ごしくださいませ。

ひらがなの案内ひかる夜学かな
季語:夜学
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