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cinéma

別珍に居敷のどけき幕のあと
季語:のどけき

先日、某所の名画座に参りました。

通学路でのふとした寄り道でしたから、何を見ようかと名画座のポスターを前に突っ立ち、それにしても私のようなものがこれ以上足を踏み入れてよいものかと逡巡をしていたところ、

「あなた、お迷いなのでしょう?」

と、振り返ると、少ししゃがれつつも御上品なお声の、美しいお着物をお召しになったご婦人が微笑んでおります。

こちらも小首をかいて素直に頷いたところ、それではご一緒しましょうといきなり仰るので、どうも困ってしまいました。

お年寄りにお声をかけられると、どうも長話になる傾向があります。加えて言葉遣いや発声や声量にも心を遣らねばならず、話を合わせる努力もときには要します。

かといって断る理由もあるわけでもなし、正直に申し上げるような図太さもなし、彼女の世間話に神経をつかいながら、手を引かれるように彼女を追って、お隣に小さくなって座りました。

はて、これは何の映画だったろうかと、神経を全く使わなかったことへの悔悟の目を入り口のほうに送っていると、彼女はこんなことを仰るのです。

「ーーーこれは、あたくしが、ちょうどあなたほどの頃に観た作品でーーー」

二人称で「あなた」と呼ばれた経験など持ち合わせず、というよりも、そもそもこのようなお言葉遣いの方とお話させていただくような経験など一切持ち合わせぬ私には、なんともむず痒いというか、浮き足立つというか、小首をかきながらお話を聞いておれば、古いブザーが鳴って暗転しました。

お馴染みの東宝の文字が先ずスクリーンに打ち出されますが、日常のものと異なるのは、それがモノクロだったことです。

なんと…と愈々困惑しておると、おもむろにご婦人が荷物を手に席を立つではありませんか。

「ーーーごめんなさいね、少し用があってーーー」

なんということでしょう。

こちらは名も知らぬ老人の思い出の映画を、その人なしで観ろと言うのか。

苛立ちより先に呆れてしまい、口を開けて入り口に向かうその背をうち見ていると、映画が始まってしまいました。

クリステヴァの言う「ねじれたホスピタリティ(perverse hospitality)」とはまさにこれか、と、わけの分からぬモノローグを紡ぎながら、作品の世界が始まってゆきました。

ーーーーーーーーーー

ところが、というか、案の定、というか、名作だったわけですね、これが。

私が観ていたのは、往年の大女優(といってもお名前しか伺ったことがなく御尊顔を拝見すること自体が初めてでしたが)高峰秀子さん主演の『名もなく貧しく美しく』という作品でした。

9割5分の辛さを5分の優しさのために耐え続ける健気さは現在ではなかなか描きづらく共感も得づらい作品かもしれません。つい先日、『火垂るの墓』がテレビ放送されていましたが、あの作品の放映の後には、テレビ局に「あんなに悲しい作品を放送しないでほしい」「見たくない、子どもにも見せたくない」などの意見が多く寄せられるそうです。そのような時勢には、さらに放映しづらくなっている類の作品でしょうね。

目頭を押さえ早々と席を立つ私を、入り口の外で先刻のご婦人が紙袋を片手に待っていらしました。

「どうだったかしら」

と微笑まれたのを、私は小首をかいて二度頷いたのでした。

別珍に居敷のどけき幕のあと
季語:のどけき

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