白玉楼への一里塚

冥土への道中、皆様とご一緒させていただきたく存じます。

一觴一詠7〜悟りの散歩道 

さて、僕は現在、兵庫県姫路市にある実家に帰省している。

愛犬の散歩中、突如降り出した雨に逃げた先の軒先から、温む水に立体感を得始めた故郷の山を見た。

ざわめける山 ふるさとの春の慈雨

慈雨の音 土の音 啓蟄の音

季語;春(春の雨) 啓蟄

このブログにおいて、僕は一貫して「蠢動の不安」というものを繰り返してきた(詳しくは、「一觴一詠4〜蠢動という葬送曲」や、あるいは「一觴一詠6〜春濤の六回忌」を参照のこと)。

しかし、そうは言ってもやはり、色めきだつ自然に現前すると、人として少しばかりの感傷を抱くことは事実である。特に、灰色の縦の世界に圧迫される東京では、蠢動に対する不安を煽られもするが、やはり故郷という、一種の生物としての地盤(いわば母)に包まれていると、その大地の揺れもむしろ羊水の中のおとぎ話のようで、微笑ましいとも思えてくる。

そんな不安定な存在であるということだけは、確かだと言える。それだけは言えるが、それ以上は言えない、さような存在であることを、改めて認識せねばならなかったというような、思考の揺れにここ数日襲われている。

この思考の揺れは、やはり「命」に対する種々の感情が巻き起こすものだろう。特に3•11以降の日本人は、啓蟄を愛でながら自然を畏怖するという、まさしく「輪廻」への激情とも言いうるかの感情を抱くようになった(一觴一詠6〜春濤の六回忌より)。これは、まさに「輪廻」なのだ。まさに、ゴータマというインドの青年が感じた不安に他ならないのだ。

とすれば、人間の本源にかかる心理にも、終わりがないことに嘆息をつきながら、とりあえずは春霖雨の音を聞くしかないのだろう。

春は、終わりであり始まり、別れであり出会いであると形容される。
しかし、ここには終わりがない。始まりもない。
唯、輪廻があるのみ。

そんなふうにして、なにか悟りを開いたかの心持ちになりながら、愛犬と家路についた。



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カテゴリ: 俳句

テーマ: 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など

ジャンル: 学問・文化・芸術

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